インターネットで「琴線」という言葉を検索すると,「怒りの琴線に触れる。」という表現が多く見つかります。しかし,これは,本来の「琴線に触れる」の用法とは違っています。
- 問1 「琴線に触れる」とは,本来どのような意味でしょうか。
- 答 心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激して,感動や共鳴を与えることです。
「琴線(に触れる)」を辞書で調べてみましょう。
きんせん【琴線】 (1)琴の糸 (2)感じやすい心情。心の奥に秘められた,感動し共鳴する微妙な心情。「―に触れる」
「明鏡 第2版」(平成22年・大修館書店)
きんせん【琴線】〔名〕 (1)琴の糸 (2)物事に感動し共鳴する胸奥の心情。「心の―に触れる話」 [注意]「琴線に触れる」を,触れられたくないこと,不快な話題に触れる意で使うのは誤り。「× 私の一言が彼の琴線に触れたのか,急に怒り出した」
辞書が示すように,「琴線」は,もともとは琴の糸のこと。それを,物事に感動する心の奥の心情を表すものとして比喩的に用いる言葉です。「明鏡」が指摘するとおり,相手の怒りを誘うというような意で用いるのは,本来の使い方ではありません。用例を見てみましょう。新渡戸稲造の「自警録」からの引用です。
「片言でいう小児の言葉が,胸中の琴線に触れて,涙の源泉を突くことがある。」 (「自警録」 昭和4年)
子供のたどたどしい言葉であっても,人の胸の奥の心情を揺り動かし,感動の涙を誘うことがある,ということを「琴線に触れる」を使って表現しています。
- 問2 「琴線に触れる」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
- 答 本来の意味である「感動や共鳴を与えること」と,本来の意味とは違う「怒りを買ってしまうこと」の割合が接近しています。また,約4分の1の人が「分からない」と答えました。
平成19年度の「国語に関する世論調査」で,「琴線に触れる」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
〔全 体〕
(ア) 怒りを買ってしまうこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35.6%
(イ) 感動や共鳴を与えること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37.8%
(ア)と(イ)の両方の意味で使う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.4%
(ア),(イ)のどちらの意味でも使わない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.6%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24.6%全体では,本来の使い方である(イ)「感動や共鳴を与えること」と回答した人が37.8%,本来の使い方ではない(ア)「怒りを買ってしまうこと」と回答した人の割合が35.6%となっており,数字が接近しています。また,この言葉についての調査結果の特徴として,「分からない」と回答した人が多いことが挙げられ,約4人に1人が「分からない」と答えています。
年代別に見ても,20代を除く全ての年代で,本来の使い方である(イ)と回答した人と,本来の使い方ではない(ア)と回答した人との割合は接近しており,その差は5ポイント以内となっています。また,「分からない」と回答した人の割合は,年代が上がっていくのに従って増える傾向にあり,60歳以上では3割の人が「分からない」と回答しています。
「怒りを買ってしまうこと」という意味での用法が広がっている理由としては,「逆鱗 に触れる」(「目上の人などの怒りに触れる」という意味。)という語との混同などがあるとも考えられるでしょう。また,「分からない」という回答が多いのを見ると,「琴線」が「琴の糸」であって,その琴の糸が人の心を感動させるような美しい音色を発することから,心の奥深くにある,物事に感動し共鳴しやすい心情の例えとして使われるようになったという経緯が理解されていないとも考えられます。その結果,「琴線」は元々の意味を離れ,何らかの感情を引き出すスイッチのような意味合いで使われるようになったのかもしれません。特に,形の似ている「逆鱗に触れる」という語に影響され,怒りという感情を引き出してしまうという意味で「琴線に触れる」を使う人が増えている可能性があります。
あることをきっかけに「ことせん」と読んでたのが「きんせん」だったと気がつきましたよ笑。ことって楽器があるからことって思ってましたね。